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祖母の命日

祖母の命日




今年も祖母の命日がきて、高尾山の麓の霊園にお参りに行ってきました
亡くなってから18年になりますが
今でもその姿が鮮明に思い出されます

母方の祖母は平成6年6月13日、私が大学1年の時に亡くなりました
優しくて上品で、そして強さもあって日本の母の典型のような女性でした

肝臓ガンで手術と入院を繰り返していた祖母は
どんなに辛い手術にも泣き言ひとつ言わずに耐えていました
黄疸が強くでて末期的な段階に入った時に
自宅で安らかに眠らせてあげたいという家族の願いが叶って
自宅療養をさせてあげることができたのは、病院側の配慮があったからと
今でも感謝の気持ちでいっぱいです

居間にダブルベット置いて、夜は交代で添い寝をしました
暗い部屋で祖母の隣で寝ていると
いつか、この寝息が止まってしまうのではないかという不安で
胸がチリチリと痛くなりました。そして、
『 なぜ、善良な祖母がこんなに苦しまなければならないのか・・・』
という、怒りさえこみ上げてくるのでした

ある日、祖母の身体をさすっていると、小さな声で何かつぶやきました
そっと、耳を傾けると
『 いつまでつづくんだろう・・・・ 』
小さな小さな声で、そうつぶやいたのでした
祖母の目に涙が浮かんでいました
つつうと一筋糸をひいてこめかみまでくると、その涙が耳たぶに落ちました

黄疸のために、身体も爪も瞳さえもレモン色に染まっている祖母・・・
その祖母がポロポロと流す涙も、きれいなきれいなレモン色をしているのが
私をいっそう切なくさせるのでした

それから数日後、祖母はまさに眠るように亡くなりました
夫と子供、孫達に見守られて、住み慣れた我が家での静かな旅立ちでした
今にも声を立てて笑い出しそうな、微笑さえ浮かべているその顔を見ていると
きっと、幸福な人生だったのだと思いました

そう思うと、少し救われたような気持ちになりました



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コメント(5件)

  • ◆みゆママ32さん◆私は祖母と同居していたのではないのですが、同じ町内だったので毎日のように遊びに行ってました。祖母が亡くなったあと、暫くの間は思い出の品を見る度に涙が出てきてしまって、気持ちが塞いでどうしょうもなかったです。本当に大好きでした。

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    2012/6/29 23:16

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  • ◆シーザージュニアさん◆祖母が亡くなった時、悲しくてたまらなかったけれど、その顔がなんとも優しい顔だったことで救われたんです。最後の時間を自宅で過ごせたことも、祖母にとっては幸せだったと思います。今の時代にそれが叶えられたのは沢山の人の応援があったからですよね。本当に感謝しています。

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    2012/6/29 23:06

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  • おはようございます。私もシーザージュニアさんと同じく読みながら泣いてしまいました。愛する人を見送るのは辛いことですが、笑顔のおばあさまを見て救われたというのは、分かるような気がします。亡くなられて18年経っても御家族の心の中で生きているおばあさまは幸せですね。

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    2012/6/19 09:37

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  • 続き)も幸せだったと思います☆ 写真のお祖母様とてもお綺麗ですね^^ あったかい優しい笑顔で今もanzu_ame さんの事、そしてご家族の事を見守ってくれていると思います・・・☆

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    2012/6/19 01:36

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  • 思わず涙がこみ上げてきました。私はお祖母ちゃんっ子だったので祖母の事と重なってしまいました。先月七回忌でした。肺癌で亡くなりましたが、死顔は本当になんとも安らかで可愛らしい顔をしていました。そんな顔を見たら…ほんと救われた気持ちになりますよね。anzu_ame さんのお祖母様は家族皆に見守られてとて

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    2012/6/19 01:28

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